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小学校低学年の参加者が多かった「野びと塾」
初回『夏野塾』は大自然はじめ、先生方のおかげで大成功におわりました!!


野びと塾=自然体験学習
とはいうものの『遊び』の域は超えないだろうなと最初は感じていた
ところが先生方をはじめ地域住民の皆様のおかげで「子供たちの育成」として成り立ったように感じられます

まず大自然
これはもう、ものすごい大自然を味あわせてあげる天候に恵まれました
強い晴れ間の日差しに曇のありがたみ、そして大雨
自然の怖さや、楽しさ厳しさを味あわせてくれた天気の神様に感謝です

そして村落の方々から頂いた『ありがたみ』

持参した水2リッターで生活のすべてをまかなう
喉が渇いたら飲み、野菜を洗い米をとぐ
歯を磨いたり、顔を洗うのにも、ひとりが水をペットボトルから流してやらないと顔さえうまく洗えない
水が足りなくなったら友達同士でわけあう
参加した子供たちは小さな助け合いを実践でやれました

そんな2ℓの水ですが、完全に底をつくのに時間は掛かりませんでした
でもしかし、青少年の家の水道の蛇口からは一滴も水は出ない仕組みをあえて作り出し、ではどうするか?

集落のひとたちに水を貰いに子供たちは出かけていき、ついでに野菜をもらい、それを夕食のカレーの具にする。
じつはカレーの具をあらかじめ買っておきましたが、そんなもの買わなくてもカレー100杯分ぐらい簡単に作れてしまうほど野菜を頂けた。
頂けたというか、子供たちが貰ってきてくれた。

子供たちは、良い意味で衝撃を受けたでしょう。
見知らぬ人からモノを貰ってはいけない世の掟は時として破られ、逆にこのような大人に育ってほしいと願っています 。

子供たちはまったくの他人から世話をうけ、ひとりひとりなにを思ったでしょうか。
なぜ野菜をくれるのかと思ったことでしょうか。
きっと心の中では「?なぜ?」の連続だったでしょう。

参加した子供たちみんなが集落の人びとに感謝して、感激していたのをみて、我々スタッフも子供たちから学ばなければいけないことがたくさんあったように感じます。


さて、この野びと塾は、基本的に面倒なことテンコ盛りです。
『火お越し体験』も『米炊き』も、そう簡単にできなかったけれど、それでもスタッフたちが手伝ったおかげで子供たちに苦労させることもなく・・

一日目は、そう、大人が手伝ったおかげで簡単に修了・・

・・のつもりだった。


夜半から降ったりやんだりの雨は次第に雨足を強めながら子供たちが寝ているテントをおそっていきます。
消灯9時から寝静まった一時間後の豪雨。
テントのほとんどが水没し、真新しい寝袋は水びたし。
初キャンプがほとんど全員の子供たちからは「センセー、ぬれてる」という、いつも遊んでいるときと同じ調子の声。
この声でスタッフたちは必死でテントの脇を掘りかえし水の通り道をつくる 。
が、雨足に比例してスタッフの不安は増すばかり。
とんでもない大雨、豪雨、一寸先は雨アメあめ。

やむなく大雨のなか青少年の家に移動することに。
消灯前、気まぐれな雨のおかげで濡れた服から着替えたばかりのまっさらな寝巻きの子供たちは、全身ずぶ濡れになりながら寝ていた寝袋をグラウンドの水溜りに這いずらせながら青少年の家に入っていきます。
雨のなか熟睡していた子にはかわいそうなことをしましたが、そう簡単にはいかない場面を作れたことは大自然に感謝するとともに「野びと塾」としては最高の環境だったように思います。そして意外にも子供たちの口から不平不満が聞かれなかったことから、大人たちより子供たちのほうが自然に順応した大自然との付き合い方をしているのだなとハッとさせられました。
純粋なだけに大自然に対する気持ちもまた人間本来の素直なものなのかもしれません。

怒るときは怒っていいと思うのです。楽しいときは笑い、悲しいときは泣く。
人間は自然体でいることが一番楽なように感じました。
集落で水をもらい、野菜をもらったことなど『おもいやり』、『優しさ』『助け合い』というのもまた人間本来もち合わせているものだと信じています。
大自然から教わることと、集落に住む人々から教わったことは、まったく同類のものだったように感じます。


二日目は、初日より収集がつかなくなるかと思いきや、各班(6~7名)の子供たちだけで行動させると案外簡単にまとまって動き出してくれました。

夏の最高の天気のなか、各自寝ていたテントを片付け、班長の指示のもとひとりづつ寝袋をしまい身支度をする。子供たちだけでペットボトルを手に取り集落に水をもらいにいき、歯を磨き顔を洗う。

声の小さい内気な女子が班長をしている班が、朝の行程に遅れをとっていて、なにせ内気だから子供たちだけで水をもらいに行く事を少し躊躇しているようにみえた。
だから彼女には、あえて耳の遠いおじいさんの家を教えました。
しばらくして様子をみにいくと、彼女は一体どんなふうに声をかけたのか、班員たちはしっかりとペットボトルに水をもらい、なかでも7歳の女子がおじいちゃんの耳元で大きくありがとうと叫び、独り暮らしのおじいちゃんは目を細める、そんな場面がとても印象に残っています。

その日の朝は昼飯のオニギリを自分自身で作り、各班で行動してオニギリそれを集落のひとのおうちに上がって食べるように班長に指示を出しました。
水をもらい、野菜をもらい、優しい言葉をかけてくれた家に上がりこむ。
集落のひとたちは、一体どう思っていただろうか、いまでも疑問におもいます。
そして、子供たちは集落の人びとの生活を、一体どう感じ取っただろうか。
助け合いをしながら生活し、しかし一方では連れ合いが先立って独り暮らしを余儀なくされる限界集落のひとびと。
人間は結局ひとりぼっちだけれど、助け合いをすることでより笑顔の増える人生を送れるのではないかと、子供たちも気付いたかな?
100%
この数字は住民の笑顔の比率。
お年寄りの純粋な笑顔をみた子供たちもまた自然体でいれたように感じます。


遠く眼下にみえる畑仕事をするおばあちゃんに「こんにちは、みずくださーい!」と一斉に叫ぶ子供たち。
「いいよー」と小さな声をかけてくれるおばあちゃん。
85歳で独り暮らしのおばあちゃんの家に行くとまず水をもらい、話をするわけでなく縁側に座り、あるいは上がり込んで走り回る子供たち。

現代でこのような行動は慎まれています。
「ずうずうしく」も、みずしらずの人から恩を受けて「こんなに優しい人がいたんだ」と素直な笑顔をみせる子供たちがいました。

ひと同士の付き合い方は迷惑をかけてナンボだと思っています。
迷惑といえば聞こえは悪いですが、では迷惑をかけないコミュニケーションがあるとすれば表面上だけのつきあいになってきます。
表面上の付き合いが果たして本当のコミュニケーションとして幸せな人生が成り立つでしょうか。

家にあがりこみ、作文を書きながら出されたお茶をすする。
見知らぬ人家の帰り際「ありがとう」
こんな言葉が自然に出ていましたが、実際、言葉なんて軽いものかもしれない。だけど、子供たちの笑顔に秘められたありがとうは現実味がありました。
言葉は時として大切なものだけど、子供たちがどうおもうかが一番重要だと感じています。
もちろん指導にあたった先生方は、特に挨拶に関してしっかり指導してくれたおかげで今後はこんな場面での挨拶のやりとりに子供たちが躊躇することはないはずです。

とにかく色々なことがありすぎて、書ききれません。


大雨のなか、テント脇に水の道をびしょ濡れで延々つくってくれた先生方をみて、やってよかったなと感じました。
もちろん、それだけでなく、先生方の気持ちと同じものをオレも心に秘めています。

参加くださった皆さんは完全に先生でした。

さきほど、参加した子供の親御さんからメールを頂きました。

解散後、帰路につく車の中で先生にあいたいと泣いてしまった子供がいたそうです。
それだけであなた方を呼んで本当によかったと心の底から感じています。

ありがとうございました。


http://nobitojuku.web.fc2.com/



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