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べつに給料をもらえるわけでもない
誰かのためのボランティアでもない
損得で考えたらあまりにも霧のなか。
ではなぜ島田の大祭には、これだけ若者が集まるのか。
若者のみならず市全体を熱くするなにかがきっとある。

300年の歴史ある島田大祭
参加してよかった
島田には大事な時期に住んでいたおかげで友達がたくさんいる
久しぶりの再会また新しい友達も大勢でき意義ある数日間

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大祭での仕事は屋根係だった
この係は引き屋台の上およそ4mの上に乗り屋台の運行の舵取りをするもの
サスペンションのない引き屋台の丸太タイヤにガッタンゴトン身を任せる
高所恐怖症の俺にとって頼みの綱は大勢の観光客でもなければ気を紛らわす酒でもない
中学の親友がそれである
彼が屋根係長だったから心の中では常に安定していた

ただ島田大祭は上下関係が厳密に守られ、そのことが日本三奇祭と呼ばれるゆえんにもなっているという話もありクラスも一緒、部活も一緒、大人になってもバイクや車でよく遊びにでかけた友達といえ、祭りの最中厳しい教育を頂いた
逆にそれが俺には嬉しくもあり表面上甘えられない状況を楽しめたのではと振り返る

実は俺の旅の原点はこの同級生との旅だった
静岡県東部の温泉宿まで彼と旅をした道が、まさかシベリアや南米に繋がっているとは思いもしなかった中学一年の春休み
島田市から県東部・函南町まで距離およそ90キロ、我々はチャリんコで旅をすることになった
旅のキッカケなどこの頃も今も単なる思い付きである
当初、旅の目的が無かったため、出会った中学生全員と喧嘩するという健全な少年らしい目的ではあったが体力的にそれどころではなかった
健康優良児は運動と風邪を引かなければもらえるものだと思っていたその腹いせ的行動でもある自転車200キロの旅、一泊二日の旅程で今回の屋根係長が予定を組んで出発したのだった

しかしさすが13の春、予定を組んだはずの同級生が道を間違え箱根の山を越えそうになり、そこで大喧嘩
自転車で箱根越えなど現代の少年なら絶交である
いままで並行して仲良く走っていた我々の車間は200mに広がった
最終目的地である畑毛温泉へ到着した頃には、彼が作った自転車旅の「しおり」予定表の午後5時をおおきく上回る夜8時

ようやくたどり着いたと思った畑毛温泉宿でもトラブル発生
会員制のうえ予約制、当然予約などしていない
完全に迫害された気分で、また大喧嘩
雨も降ってきたうえ体力的に厳しくなってきたため、国道沿いのビジネスホテルに泊まることになったのだった
たがいに風呂に入り終えると浴槽に毛があり、それが誰のものなのかでまた喧嘩
たぶん本当に仲良かったんだと思う


そんな友達が第106回島田大祭にて歴史と伝統ある第壱街屋根係長と聞き、高いところがこの世で一番嫌いな俺も、一生の思い出だからと屋根係として参加することになったのだった

大人になってからの彼の行動は隙の無いカッコよさであったが、中学生のイメージというのはどうしても抜けない
そのため、本当はどこか抜けてやしないかと思ったりもしたが、そんなことはない、大祭が始まり、屋根にあがれば完璧な指揮、操縦のもと、屋根係は安定した屋台運行をおこなうことができた
ちなみに島田大祭は、市内全体で屋台が5台ある
そのうち第壱街の屋台のみが特別に前後連結、つまり前後切り離され前屋台、後屋台になって運行する場合がある
これが意味するものは足場の安定欠如

俺は前屋台に乗ったのだが、屋台が切り離され一両編成で運行することで横断歩道の凹凸にさえ神経を使った
高所恐怖症の俺にとって屋台が揺れ動くだけでも恐ろしいのに、それが綱を引っ張る同じ街の人間が多くなる夕方にでもなると、速いときには時速30キロで勢いよくガッタンゴトンと引かれるので生きた心地はしない
信号やら電線やらをかがんで避けながら運行を続ける
本当はこわいというとダサいんだけど、俺は馬鹿なので正直にいいます。こわいです。

「高所恐怖症さえ克服すれば、もうこの世に怖いものはないんだよ!」
ひとまわり年下の屋根仲間に怖いのかと聞かれたとき咄嗟に出た言葉

結果からいうと高所恐怖症は一切直らなかった
それどころか高いところはやっぱり高いところと認識した

今回、屋根係には鳶職など普段から高いところに慣れている5人の精鋭がいた
綺麗な景色をみて楽しむはずの釧路湿原展望台でさえ真下をみてはグルグルしている俺にとって、屋台の屋根は彼らのように踊って騒ぐ場所でなく、お祭りを見に来ている人たちの笑顔に困惑する場所だった
ただ、屋根に乗れば怖いなどと言っていられない「粋」な場所
もっとも神様に近い場所なのだからと自分に言い聞かせた
星をみる余裕は一度だけだった


3日目にはバランスも取れて屋根でジャンプして踊り狂って大声で遊べるぐらいにはなったが、でもじつはその場から一歩も動いていない。
そうなのです、みんなが前後左右動き回って騒いでいるコロ、俺はその場でジャンプするのみの格好となりました。
拳銃やライフルを突きつけられてもまったく動じなかった俺が、まさか高いところに震えるだけでなく、一切慣れなかったのが残念です。
きがちいさい


島田大祭は青年の祭りなのだと知ったのは「中老」と書かれた法被姿のおじさんたちだった
40歳をすぎると「中老」とよばれ、その格付けは青年が指揮する屋根・梃子・踊り・伝令・応接など祭りを楽しめるポストに中老はつけない
その代わり相談役や交通係といった裏舞台が主な役職である
彼ら無しでは大祭は成り立たない

大祭が土壌となる島田市は人材育成教育が根付いている
時に熱くなる若者もいそうなもんだが、これこそが地域からなる世代間交流であり、我々若者への道筋となっている
年齢関係なく祭りに参加した回数が立場に反映されるのも嫌いではない
俺は地域の伝統をあまり知らないのだと感じた

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日本中みても島田市は特異である
独特の発展を遂げ、伝統を守ってきた
島田はなにもねえよと若者はいうが、言葉の裏には息づく人材育成と人間味が詰まっている
祭りおわっちゃうなぁ、誰もが寂しそうに洩らしていたのが印象的だった
自由を奪い取れる数日間がおわり、現在島田の町は大祭が嘘だったように静まり返っている
週末あたり島田名物キタムラのお好み焼きでも食いに行こうと思う

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