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大槌支援3回目
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避難所の外で炊き出しの準備をしていると、小学生を乗せたスクールバスが到着した。ここの小学校は消失したから、いまは隣町の青少年の家まで、毎朝バスで通学している。そんな子どもたちがいっせいに避難所前で下車、知った顔が知らん振りをしながら、おニューのランドセルを肩によっちら歩いてきた。

俺たちが来ることは、電話や手紙でだいぶ前から知っていたはずなのに「えー、なんでいるのさ」といわれる。怪訝な表情の小学生たちは、ランドセルを避難所において飛び出してきて「料理つくるんでしょー。なんなのよメニューは」
あまり笑顔はないが、夕食時のお茶菓子の板チョコを割ってタッパーに詰める作業を手伝ってくれた。子どもたちとの再会に、徹夜の疲れが吹き飛んだ。

お茶だしの際、はじめて話した児童たちがいた。以前おなじ避難所でみかけてはいたが、話し掛けても返事の無い子たちである。テレビの震災特番でみかけていた彼らは、親戚の家にしばらくいたが、先月から始まった学校のため再び避難所に帰ってきていた。映像でも彼らは話そうとしなかった。その代わりご両親が発言していたのを思い出した。

「子どもに、消失した市街地を、ガレキをみせたくない」
そんな彼らは現在、隣町の青少年の家までバスでおよそ15キロ、ずっとガレキのなかをバスで通学。道も悪いから徐行でガレキのなかを走っていく。俺はそれを想像しただけで胸が苦しくなった。

深夜、大声で飛び起きたり、長い寝言をいう大人もいるなかで、どうか子どもたちの毎晩の夢は、よいものであってほしい。一体、俺にはなにができるだろうか。子どもたちには「夢」と、希望を持ってもらいたい。

はじめて話した子の名前は由香といった。親戚の高校生と同じ名前だった。
テレビでは内向的にみえたが、お茶だしのとき近寄ってきた彼女に「あとでゆっくりお話しするが」と、わざと岩手方言で声を掛けると、まっすぐな視線、笑顔で大きく頷いた。実際はずいぶん明るい素直な子であることがわかった。社交的な子ならまだいいが、この子のように少し内向的だと「はけ口」を作るのに苦労する。

いままで黙っていた子たちの話はよりリアルだが、例えば虫歯の治療にでかけることなどにも、その表情、気をつけていないと見逃すほど繊細。さらけだしてくるにはもう少し時間はかかる。大人さえ津波の話をするとき作り笑いするほどだから、やはり、はけ口というのは必要だと感じる。大人はそのはけ口をどこかで見つけられるが、子どもたちは溜め込んでいることにも気づいていない子が多く、吐き出させるのも容易ではない。何度も再会する必要がある。何度も通って信頼を得ないといけない。

「感情」や「想い」を抑えることが、いかに人間らしくない行為であるかを、まざまざとみせつけてくれる。
せめて俺たちが避難所内でお茶だしをしているときだけでも、と思う。

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「オラ、コモエスタス」
アルゼンチン出身の日系の友達。そのご家族とアミーゴたち。総勢13名のメンバーには、地球の反対ブラジル人もいれば、ペルー人、メキシコ人、そしてアルゼンチン人。日系人といえ、数年前に日本に帰化した方もおられ、顔は日本人でも日本語がお世辞にも上手とはいえない。マイクロバスの母国語は完全にスペイン語。エスペランサと急遽名づけられた団体の長はママで、パパが縁の下の力持ち。彼らの娘はモデル業をやっていたこともある綺麗な方で、お茶だしの際には、俺を筆頭とする男布陣だけでは雰囲気が堅苦しくなるので手伝ってもらった。

さて、バスの中の言葉は、ほとんど意味がわからない。丸二日スペイン語漬け、久しぶりの「漬け」は、およそ90%理解できなかった。これも慣れだろう。話していると徐々に理解していた。ラテン系と聞いて、みなさんはどういう感想をもたれるだろうか。サンバに代表されるように、きっと底抜けに明るいというイメージを持たれる方もいるかもしれない。たしかに、被災地に入るまでの彼らはいつもの陽気な音楽を聴いて、大きな声ですべてを笑い飛ばしていた。ところが被災地入り直後は、これもラティナらしい、感情移入というか、被災者サイド。そこに立てる自信があるからこそボランティアに行く決心がつけるのだと感じる。そしてまたラティーナらしく被災者の心にどんどん浸透していこうとする。友達になろうと心がける。

被災者の多くは、震災一ヶ月後にくらべ随分平常心を保っているようにみえた。
震災二週間後、ほとんどの被災者にみられた「笑顔の次の瞬間の涙」は、ほとんどみられなくなっていた。「ここ一ヶ月は、平常心を保つことに心がけている」と、大槌のおやっさんも言っていた。避難所生活も二ヶ月あまり、精神的疲れも溜まってきているだろう。

例えば体育館のような広間の避難所は、各家庭をカーテンで間仕切りしたところが多い。その中でも、あえてそうしていない避難所が、いつもお世話になっているところ。家の一階だけ津波にやられた地域の方もいて、そういう方は片付けや掃除が終わり、もう自分の家に帰れる人もいるのに、あえて帰らず避難所生活を送る人までいるほど「雰囲気は最高」に家族的。
子どもたちも地域の「大家族」に育てられることで素晴らしい人格に成長する。いろんな人と接することで将来、違う考えに出会っても受け入れられる、否定しない人は否定されることもない。核家族の生活ではどうしても両親の思想で偏ってしまう。
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遊び場をほとんど確保していないなど、物理的精神的苦痛はまだ解消されていないものの、避難所であらゆる人に出会うことで大きな可能性が見出せている気がする。
ダンボールなどで間仕切りしていない避難所は、避難所代表の目が一瞬で行き届く。体調不良の人を瞬時にみつけられるメリットは大きい。なにより大家族で一体感で生活。子どもたちも見守られている。地域の150人全員が顔見知り。家が流されたのだから、決して幸せとはいいがたいだろう。しかしお年寄りが多い中、一人暮らしにもなる仮設住宅の入居は、やはり精神的苦痛なのかもしれない。入居を断る人も多いのだという。国は、仮設住宅入居、すなわち避難所全部の解消を夏ぐらいまでに終わらせたいと言っている。だが、仮設住宅に入れば国からの配給は完全にストップする。もちろん自衛隊からの米と白湯もストップ。仮設は二年契約、仕事もないのに光熱費など生活費の支払いが待っている。

避難所には、そろそろ下準備、心の準備として米の炊き出しぐらいやりましょうと、大きな釜が届けられていた。もともと若者が出て行った過疎の地域、避難所のほとんどがお年寄りのなか、いったい誰が150人分の米を炊けるのだろう。避難所の影の代表者は、動ける人間が限られているなかでこの問題に頭を抱えていた。



さて、炊き出しである。

南米料理!!!!!
これが、なぜか日本人にマッチする。
なぜか心が落ち着く外国料理のひとつです。


1日目
料理名:ペルー代表の鶏煮込みジャガイモ人参ゆで卵添え,アルゼンチンのエンパナーダ,アルゼンチンのお菓子
200人前

2日目
料理名:ペルー代表の鶏煮込みジャガイモ人参ゆで卵添え,アルゼンチンのお菓子
300人前
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肉を丁寧にちぎって肉の存在を分かりにくくしてくれた。被災者の多くが肉や魚を影では歓迎していない人もいる。家族が行方不明の方もいるなかで当然といえば当然かもしれない。

岩手は国土の北に位置するので誰もあまり行きたがらない。福島から350キロもあれば仕方ないかもしれない。さらに普通より気を遣う、ボランティア登録の問題、炊き出しの問題などなど、むずかしい地域である。そのかわり来てくれた人には暖かいもてなしをしてくれる。だからまた行きたくなるのだろう。

運よく避難所に入って料理の配給までさせてもらえた。あまりに雰囲気がよかったので、アミーゴたちも避難所内で記念撮影をしたり、避難所の出入り口で談笑したり。これは悪いことでなく、避難所の人たちも了解済み。しかしそうなるとラテン系は止まらない。おれ自身、もっと悪役でよかった。嫌われ役でよかった。みんな真剣に被災者のために料理を作ってくれ、その場を楽しみたい気持ちはもちろん大槌の人たちも変わらない。それに繊細さをあまり必要としなくなってきていたから、あまり口うるさく言う必要はなくなっていた。だから俺は極力だまって観察していた。

帰りの車中、日系のおばさんが被災者のおばさんに布団をギフトしたことを俺に教えてくれた。あの状況なら、なにかやらなくちゃと言ってくれた。それぞれに感じ取ったことを実行すればいいと思う。おばさんは毎月物資を提供すると言っていた。そのおばさんはブラジル直輸入の下着を扱う会社を経営しているので「下着を寄付したい」と言っていた。大槌のおばあちゃんたちが、ブラジルの下着を履いているのを想像すると、申し訳ないが笑ってしまった。

 避難所の代表者が代わっていた。団体という組織は、代表でずいぶん雰囲気が変わるものだ。新代表はこの表現がいいか分からないが「ゆるかわ」。初対面でも超社交的な人は俺自身、あまり信用しないのだけど、新代表は「みんなが代表」と、避難者みんなの前で公言するひと。みんなが不安で拠り所を求め、じつは役割を求めている被災者には、うってつけの存在かもしれないと思った。組織の代表のあり方は、全員の意見を聞きつつも自分の意見を明確に持ち、客観的に処理できる人間だろう。被災地に行くたび勉強になる。
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 最後に。がんばった人だけが手に入れることの出来るもの。金をはたき、みずしらずの人のためにご飯をつくる。ガレキをみつめながら心を痛め、もしかしたら狂気の被災者のため、片道十時間以上をかけて、寝不足のなか、なかには一睡もしていないのに、笑顔で、自分たちの国の料理を作る。それがもしかしたら受け入れられないかもしれない不安と戦いながら。

俺たちは他人のためにがんばったのに、なぜか別れ際には「ありがとうございました!」と、全員の声があがる。これがなにを意味するか、それはやった本人たちが一番よく知っている。きっと理論立てて説明できないかもしれない。心の発した声である。誰のためでもない、被災者のためであった当初に比べて、ずいぶん自分のためだと胸を張って言えるようになる。自分自身の徳を積めたことへの礼とでも言おうか。死後の世界があるとして、生前積み重ねたこの徳だけは持っていけるらしい。いく前から、最後には絶対こうなるのは分かっていた。ほかでもない、ボランティアとは内面を磨ける、現在もっとも有効手段である。いつでも勉強、いつだって向上心。さあ、みなさん、ボランティアの時間ですよ。
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「ボランティア」や「支援」という呼び方に、ボランティア帰宅後、違和感を感じるかもしれない。修行、自分磨き、徳を積む、なんでもいい。支援や救援という言葉が当てはまらない、それが大槌でのボランティア。これならやはり立て続けに行くしかないのである。


文通である。避難所に入り、まっさきに手紙を渡す。静岡の生徒から大槌の児童への手紙を桐箱に大事に保管。この手紙は俺のなかでスペシャル。「俺、今日帰っちゃうから返事もって帰れるのは今日だけだぞ」というと、早速机で手紙を書いていた。いったい何の話をしているのか知らないが、純粋だからこそ想いを簡単に書けるのだと思う。

俺が持って帰って生徒たちに直接手渡しする意義なんて、大人の世界には無いかもしれない。郵便で済む話である。手紙にはしっかりと住所が書かれているのだし、切手だって置いていく。ひげのおじさん、お茶のお兄さんなどのあだ名はあるが、きっと今後は郵便のヒゲおじさんに取って代わるかもしれない。俺のひたいに指をやり額の広さを指で計測する子ども、その指のまま、また見知らぬ避難者のおでこに計測したままの二本指をあてて「ねえねえ、どう?これヒゲのおじさんのおでこだよ」と間接的な自己紹介をしてくれる。てくてく歩いている最中、指が広がっていくのがわかる。おい、広がってるぞ!といっても完全無視。子どもたちはどこまでも無邪気だ。
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記録
1日目夕食のお茶だし=20リットル=茶葉500g消費
2日目朝食お茶だし=15リットル=茶葉500g消費
2日目夕食お茶だし=20リットル=茶葉700g消費
たくさん飲んでもらって嬉しい。マッサージと一緒で、他人が淹れたお茶はなぜかうまい。誰かが淹れないことには茶は飲まれない。二日目の大所帯では、避難所が解消される前にもう一度お茶だしに来て欲しいといわれた。


今回、南米の人たちと活動できたことを、心から誇りに思う。
Gracias amigos y amigas!!
una de mundo
Sudamerica mi corazon