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今日は、爺ちゃんの戦争体験をつづります。
戦争経験者が人口の2割となった日本。
僕ら世代も戦争を伝達する時代がやってきたような気がしています。


大尉として満州で小隊を率いた爺(祖父)ちゃん、数機のロシア軍輸送機を、隊みなで狙撃して何機か落とした。パラシュート落下してくる豆粒のような兵隊をまた狙撃。その功績でメダルや賞状が実家にある。正六位だったか。
僕はそんなメダルをカッコイイなと思ったが、それはゲームセンターのメダルと価値はそれほど変わらなかった。小学三年生ぐらいのときに遊んでいたら失くしてしまった。あれだけ大切に保管されていたのに家族は誰も怒らず不思議に思ったのを覚えている。メダルや小さめの賞状を保管していた箱はカビがひどかったが、子供のときなので気にもせず色々、日本兵の集合写真や爺ちゃんがサイドカーを運転している写真をまじまじと見た。その中でも飛び抜けてカッコいいなと思えた写真は、まさに若い軍人!みたいな三名、その真ん中で優しく微笑みかけている爺ちゃん。家にある戦争写真で唯一のおどけた3人。ロングブーツに靴下をのぞかせ、腰には長い日本刀。敵意はない。肩幅が昔のタタミsizeぐらいあったと僕の父親はいつもそれが口ぐせだ。オヤジの背中は大きくみえるものだが、爺ちゃんは確かにデカかった。200㎝ぐらいあると思っていたら実際は176ぐらいだったようだ。幼少期の孫と遊ぶ中で爺ちゃんは段々猫背になっていったと思う。

ひきずっていた爺ちゃんの足は、ヒザの皿に銃弾が貫通したからだと、ごく最近父親から聞かされた。建て直す前の酒屋の実家の下にはバキバキに折れた当時の日本刀の破片があった。
戦争の話をほとんどしなかった爺ちゃんは、
毎日のように孫のおれの手をひいてはトミーのミニカーを買いにおもちゃ屋に行った。
僕が夜泣きしたときは夜行列車をみにステップバンで橋のたもとまで連れていってくれた。
寒い日は爺ちゃんが酒くさい息で手を暖めてくれた。ワンカップとecho。このセットでいつも酒臭かった。
爺ちゃんが死んだことが、僕の人生における最初の記憶。

一方、婆(祖母)ちゃんは若くして髪の毛が抜け落ち、身体は健康なのにいつも寝たきりか病院通いだった。とても神経質で気が強く、だけどなにかにおびえているような表情を時々浮かべた。70を超えると認知症がでて最期は戦争によるPTSDが60年以上つづいたから楽になってよかったんだと父親は自分に言い聞かせているように言った。
ロシア軍の侵攻。満州在住の婆ちゃんは僕のおばさんたち子供を連れて逃げた。
爺ちゃんは中国人に扮して列車で移動、一緒にいた隊の兵士は変装がバレて中国人にみつかり客車と客車のあいだで射殺されて棄てられた。

これが僕の知る2世代前の戦争体験


いま
ご祖先様の墓石には爺ちゃん婆ちゃん二人の名前と、
満州で0歳と2歳で亡くなった僕のおじさんおばさんにあたる人の名前が刻まれている。時々どんな人だったろうと想像する。

こうして我々世代も、子孫たちに戦争を伝えるときがきている。


青山まさとら








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