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ひさびさの大槌町
5月30日~6月2日
真言宗不動院の法印様とふたりで大槌町へ

静岡の冬みたいだ。冷たい太平洋の湿気は「やませ」と呼ばれ北東から吹いてくる風。ガレキの大鎚町市街地に到着したのは、深夜のいい時間帯。真っ暗闇で人の気配は当然なにもない。かわりにパトカーに追跡された。震災直後に比べて窃盗団も減ったらしいが、プロ集団もまだいるらしい。先日も漁業関係の物品が盗まれたようだ。

 翌日、あれだけガレキ撤去に精を出していた自衛隊の影は市街地になくなっていた。でも、ガレキの状況はほとんど変わっていない。

同時に、ボランティアもほとんどみかけなくなった。もともと県外ナンバーをあまりみかけなかった大槌町。ある避難所の代表は「ボランティアが引き波のようにいなくなった」。その比喩表現に相当な疲労感がにじんでいた。その避難所には70名の避難生活を送るひとたちがいて、今日のメシにも困っている状態。食料の在庫は米こそあるがおかずになりそうなものといえばレタス5個、トマト5個、カップ麺70個、レトルト食品はひとつもなかった。これで一体あとどれぐらい生活しろというのか。在庫を改めて確認した代表は笑ってこう言った。これが現実さ。4月の涙はなかった。
ガレキを撤去する重機の音が、船の無線でかき消された。高台まで聞こえた岩手方言。なにを言っているか解らなかった
「うわあ久しぶりに、帰ってきた、船が帰ってきたど」と、代表は涙をこぼした。

ガレキの様子は、10日前とほとんど変わっていない。大槌から60キロ北に位置する宮古市まで足を伸ばして、各市街地を観察した。宮古市田老地区は、ほとんど家の基礎がむき出しになっていた。つまり宮古市の多くの地区はガレキ撤去が済んだ証拠だ。それに比べて大槌は、やはり遅れを取っている。
DSC_0040_convert_20110606010052.jpg

 真言宗の法印様の車に積まれたカップ麺1000個を避難所に下ろしたあと、大槌の駅舎と思われるガレキの線路上で御供養をやらせていただいた。昨晩市街地を車で走らせたときから、彼は左肩が痛いといっていた。修験道の山伏さんらしく法螺貝は抜群。ぶっとび。法螺貝お借りして真似事させてもらったがぜんぜん鳴らない。あとで避難所の小学生と法螺貝で遊んだらみんな音がでていた。
この日は昼間なのに息が白い。気温も10度前後。グレーのどんよりした空。


しかしそれとは逆に、避難所の人たちの笑顔はまぶしかった。だからつられて俺も笑顔。ずっと笑顔でいたから、寝るときまで知らず知らず笑顔になっていた。
人の笑顔は自分も笑顔になり、自分の笑顔は人も笑顔にするのだと初めて心から理解できた。

さっそくお茶だしをさせてもらった。
俺が「次」いつ来るのか気にしている方もいるらしい。
だから次の予定を置いていくことに決めた。
被災者の方が自分のために自分で御茶を淹れるのは相当の根性がいる。
ただの御茶と思われるかもしれないが、とくにお年よりや精神的にダメージの大きな人は御茶を飲むだけでも相当な気合がいる。帰り際に「御茶どうぞ」の看板をつくった。もっと飲んでもらえるよう皆さんに説明した。御茶は心身の健康に繋がる。

さて、子どもたちである。隣町までバス通学していることを以前から聞いていたので、さっそく仮の学校になっている青少年の家に行った。青少年の家は避難所になっていないので一般人は入れない。避難所自体ボランティア登録していることで元々入ることは基本不可。学校訪問の名目は普段静岡県内でやっている授業の広報だ。静岡の子たちのようにあまり夢という夢を持っていないならまだいい。被災地の子たちは夢を語りたくても語れない気がする。低学年の子から「学校がつまらない」という言葉をあれほど多く聞くとは思ってもみなかった。一緒に行った法印さんは小学校のPTA会長ということも幸いして、多忙な校長に面会できた。大槌町内にある中学校の校長にも面会したが、やはり笑顔で対応してくれた。感謝。

児童の教室は、体育館のような施設を丸太とベニヤで囲ったものだった。1~6年生の元気な声が同じ天井に響いていた。オープンな教室を後ろから覗くと、先生も必死に大声を張り上げていた。これでは先生の声が聞き取れないだろうとお坊さんに言うと、肝心なのは聴こうとする気持ちだから、逆に人の話を聴く能力が養われるのではないかと言った。

夕刻、避難所に帰ってきた子どもたちを出迎えると、えーなんでまたいるの?と意地悪そうに言ってきた。いつもの歓迎ムード。丸坊主にしたことを伝えると、最初に背伸びした児童が二重にかぶった俺の帽子をあっさり奪い取った。子どもたちは声を揃えて「まえのほうがよかった」と言った。それでも頭をペチペチしたりヒゲを三つ編みにされたりいつも通り遊ばれた。

避難しているみなさんは、あいかわらず御茶をたくさん飲んでくれた。でも、俺がいない間は御茶の消費がほとんどない。インスタントコーヒーすら最近は飲まなくなったらしい。御茶は日常のものだが、なかには嗜好品など飲んでいいのだろうかという気持ちのひともいる。まだそういう気になれない。
いつも話さない人と、ようやく挨拶を交わせた前回。今回はそんな人たちと交流できて、社交的でない人からも徐々に受け入れてくれている気がした。

がんばっている人ほど口数が少なかった。
そしてそういう人ほど優しかった。

自衛隊がガレキ撤去をやらなくなった今、激減した貴重なボランティアもガレキ撤去をやっていない町で、地元の若者たちは本気でがんばっていた。
俺もお茶だしなどしていていいのだろうかと心底不安になる。

いつものテント泊
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けーさつにテント張ってるのみられると撤収命令がでる
ボランティア登録してないことが判明すると更に職務質問される
でもボランティア登録すると炊き出しやお茶だしなど現地の人が望む多くのことができなくなる
テントも避難所から遠いところに暗黙の了解程度のレベルでいつ起こされても不思議ではない
だから深夜、けーさつも寝たころ静かにテント設営をする
ボランティアを激減させている要因のひとつだろう

まあでも仕方ない。彼らは仕事なのだから。
おれたちのようなボランティアではないのだから見過ごすことなどできないのだろう。
広島県警の仕事が始まった。
一ヶ月前自衛隊がガレキ撤去を済ませた空き地を50人体制でほじくり返していた。30分後には居なくなっていた。全員が乗ってきた数台のバス。一体なにしに来たんだろうと、きっと警官全員が後悔して帰っていっただろう。
仕事なだけに自分の意思はなく、かわいそうな部分もよくわかるんだ。

仕事帰り直通でお茶だしのところに遊びに来た若者は、御茶を飲みながら、これからがんばるのは俺たちだと静かな口調で言った。一見ひ弱な彼。腕が太くなっていた。きっと彼らこそ、これから最も幸せを実感できる人たちだと感じる。あがるだけだ。アメリカの魂胆にやられた我々普通民は、残念ながらこれからも競争社会の渦中なのか。対する彼らは今すべてが協力体制。そしてまず、人のために動いている。「自分のため」は二の次。素晴らしいことだと思ったが、じつはこれが「ごく普通」なのだと思わせてくれた。ありがたいことだった。感謝の気持ちしかない。もちろん我慢する面も多々あるだろうが、いまは町全体が大家族であり、仲間であり、そこに入らせてもらっている俺も幸せを感じる。

さて子どもたちである。写真集の制作に夢中で、スキンヘッドの郵便おじさんが手渡した野びと塾の生徒からの手紙は郵送ということになった。みんなには是非文通をつづけてほしい。手紙をくれなかった代わりに、文通相手の名前が刺繍されたハンカチを用意してあったり、ミサンガをその場で編みこんでくれた。ついでにヒゲも5回三つ編みされた。その三つ編みをほどくたび怒られるので困っていると、夕方には被災地を一望できる丘にひまわりの種を植えることになった。きっと仮設住宅に入るころには芽がでるだろう。
他にも花の種を頼まれたので、大量に購入しようと思っている。どなたか「野菜の種・苗」を寄付してくれる方が居たらよろしくお願いします。

外で遊ぶときは自由だ。
法印様がご供養のため持ち込んだ法螺貝を、小学生みんなで練習。
なぜか、みんな法螺貝を一発で吹いてしまった。すごいなぁ。

いつも不機嫌そうな子がいて、夕飯をいつも拒否する子がいる。この日はどこか県外の人の炊き出しで具材のほとんど入っていないウドンと、自衛隊の白米。バランスなんてあったものじゃないが食べないと体が持たないだろう。彼女は、友達に対してもすべての受け答えを苦い顔で交わしていた。その児童が、朝のバス通学のときヤダと硬い表情だったのが一瞬ゆるんだ気がしたのだ。隣の席には手紙を書けと催促してきた子が笑顔で手を振っている。友達というのは本当に大切なものだと二人の関係をみていてそう思った。

震災がおきて80日。同じ避難所に残ったのは150名。
リアルな「絆」は、現実世界にしか存在しない。
全員が本物の「人」そのものだ。

DSCN4567_convert_20110606005859.jpg

みんな笑顔だった。
笑顔は、余裕のあるひとの表情だ。
しかし今回も、余裕の無い人の笑顔をたくさんみた。

避難所の代表は「ずっと居たいと思われるような避難所にするんだ」と、カーテンを取り付けた。これでパトカーの赤灯で深夜目をさますこともないと笑った。でももうその心配はない。6月1日から警察も大量に減ったのだから。今回はけーさつ自衛隊ネタが非常に多いわけだが別に攻めているわけではない。彼らだって与えられた支持をまっとうしている。おれが言いたいのは、もっと国の機関に横のつながりが出来れば無駄が省けるということだ。

これから仮設住宅に入っていく。戸数が限られているので抽選だそうだ。今週日曜が抽選日だったはずだが、先延ばしになったようだ。役場が機能していない証拠だ。
仮設住宅に入る際、支給される物資の表をみせてもらった

電化製品5個と布団、あとは最低限の生活用品
ほかには成人男女は18アイテム。
どうした子どもの分がないぞ。
乳幼児のおむつはあっても未青年者の支給品が表に載っていない。
いつもそうだ。行政からの支援物資募集をみても子どもたちのものは載って無い。
子どもたちのこと忘れてはいけない。

家が全壊した人は、ガレキから湯のみや茶碗を拾ってくるひともいる。だが急須は作りが複雑で、洗っても油が取りきれないのだという。

静岡茶のユーザーは元々岩手県民がとても多い。
静岡県民として今こそ恩返しをしたいと思っている。

急須300個
あつめます!
ご協力お願いいたします!

青山真虎





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